友達のうちでごちそうになった、
ディルが入ったサーモンのパテがとてもおいしくて、
「これならいくらでも食べられそう」と思ったことを思い出し、
レシピを教えてもらって、つくってみた。
いま冷蔵庫で固めているところ。

わたしはディルが大好きで、
ディルの匂いがすると、すごく食欲がわいてくるみたいで、
指にうつったディルの香りで、もう、おなかがすいてきて困ってしまった。

 

わたしには、文芸と呼ばれるジャンルの書籍の編集者の友達がいて、 
どの本がおもしろいとかいう話をしていると、彼女がわりとはっきりと、
「わたしはあのひとの文章は、だめなんです」
と言ったりするのが、ちょっと気になっていた。

わたしは、ライターになったばかりのとき、
みんなが「誰が文章が上手い」とか「誰が文章が下手だ」とか言っているのに、
まったくついていけなかった。
上手い/下手の基準が、ぜんぜんわからなかったし、
文章を上手いとか下手とかで考えたことがなかった。
わたしの中にあったのは、
面白い/面白くない、好き/嫌い、という軸だけだった。
正直に言うと、いまでも、よくわからないところがある。

けれど、このまえ、ある小説を読んでいるときに、
その小説が、かなり刺激的で面白い内容でぐいぐい読んでしまいながらも、
なにかこれはどうも、非常に退屈で一本調子な文章のようだ、と気がついて、
香りのない食べ物を、うまみ調味料だけで食べさせられているような気分になってしまった。

確かに、これは、面白いし目の前にあったら絶対貪るように読むと思うけど、
文章として「だめなんです」というのは、こういうことなのかと、
はっきり感じた。

たぶん、そのひとが属する、あるいは好むジャンルによっては、
「もっとスパイス入ってないとだめなんです」とか、
「もっと脂が乗ってないとだめなんです」とか、
いろんな場合があるのだとおもうけど、
どのジャンルであっても、自分が考えた「守るべきライン」の正しさを、
背筋を伸ばして守るひとの姿勢は、綺麗なものだとおもう。