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なぜだかわからないけれど、

わたしは宇多田ヒカルの音楽を聴いているときだけ、

声をあげて泣くことができる。

つらいときは、ある一曲を、

ヘッドフォンで大きな音で、

繰り返し聴く。

どうしても希望がほしい気持ちになったら、

『UTADA UNITED 2006』という、ライブDVDの
頭からぶっ続けで演奏される5曲を観る。

この最初の5曲の、音楽と映像は、
あまりにも好きすぎて、ときどきしか観れない。
頓服薬のように、大事なときにしか観ないようにしている。

ときどき、あまりにも素晴らしい作品や、人に出会ったときに
「こんなものがこの世にあるなら、自分なんかいらない」
「自分が何かを作る意味なんかない」
というようなことを言うひとがいるけれど、
そんなのは嘘だとおもう。

わたしは宇多田ヒカルがいれば、今までにつくられた彼女の歌があれば、
たぶん一生救われ続けるし、
宇多田ヒカルを越える輝きなど自分には死んでも出せないし、
あんな才能はないし、あれに匹敵するものなど絶対に作れない。
そんなことはわかってる。
けれど、宇多田ヒカルの歌を聴いて絶望したことなんか一度もない。
それは、そのほかの、すばらしいもの、すべてに対して、そうだ。
どんなに、死ぬほどすばらしいものでも、それに触れて絶望したことなんてない。

ほんものというのは、そういうもので、

ほんものというのは、正しい光なのだ。
どんなにどん底にいると、わかっていても、
そちらを向いて進まなければならないのだと示してくれる。
その光を見て、絶望するなんて、
それだけの光を放ってものを作っているひとに、失礼だとおもう。

わたしは、誰も見ていなくても、

たとえ神様さえ見ていなくても、
すばらしいものを見て絶望なんか絶対にしない。

どん底からでも、ひどい状況の中からでも、
その光を賞賛し、肯定したい。

(『UTADA UNITED 2006』は、
もしかしたらYouTubeとかそういうもので観れたりするものかもしれないけれど、
これは、映像と音のクオリティが非常に重要なので、
初めてはちゃんとDVDで観てほしい )