わたしは自分が凡庸であることに自信がある。
子供の頃は、頭の良い人になりたかった。
成績がいいとかではなくて、頭の良い人。
たくさん本を読んだりしてみたけれど、自分には読めない、読んでも意味がわからない本がたくさんあることがわかっただけで、頭が良くはならなかった。
頭が良くなるための努力を続けるのはしんどかった。

自分に特別な才能がないことも、わりと早くから気づいていた。
ないんだろうな、と思ってた。
努力で何か、すばらしいものが開花する予感なんて、なかった。

いろんなものに憧れた。
素敵な部屋に住んで、センスの良い服を身につけて、すばらしいものを書いて。
いろいろがんばってみたけれど、いまだにわたしの住んでいる部屋は素敵というのにはほど遠い感じだし、
服もぱっとしない。
書くものも、ずば抜けてすごい何かはない。飛んでくる球をとりあえず打って、当たったけどファウルみたいなことばっかりだ。

だけど、素敵な部屋に住みたいとか、
センスの良い人になりたいとか、
文章を書きたいとか、
そういうことに関しては、繰り返し繰り返し何度でも失敗しても続けることを、むなしいと思わない。
死ぬまでやり続けて、その到達点が、生まれながらに才能のある人の到達点に遠く及ばないだろうとわかっていても、ぜんぜんむなしくならない。
むしろ、それまでできなかったことが、少しずつできるようになっていくことに、快感がある。
最初からできる人はあたりまえにできていたことであっても。

積み重ねをむなしいと感じずにいられる世界があるのはいい。
そういうことをたくさんもっているひとの人生は、豊かなんだろうなと思う。