あれは確か27歳ぐらいの頃のこと、
わたしと、同じ歳の女性編集者は、
出張先の大阪のホテルの部屋に缶ビールを持ち込み、
ベッドに座ってそれを飲んでいた。

ほとんど飲めないわたしの10倍ぐらいのペースでお酒を飲んでいた彼女は、
ふと、キッ! と真剣な顔をして、こう言った。

 

「わたし、30過ぎても絶対に、『和の趣味』にだけは、はまらない!」

和の趣味。それは、当時のわたしたちにとっては

「猫を飼うと婚期が遠のく」というあれと同じくらい、
「はまったら最後、そこに時間もお金も労力も費やしてしまい、恋愛も婚期も遠ざかりそう」と思える、おそろしいものだったのだ。

それから数年が過ぎ、30を過ぎてもわたしは「和の趣味」には特にはまらずにいた。
まわりではまっている友達が、
「洋服ははまってもたかが知れてるけど、着物ははまると家が建つ金額が飛ぶ」
などと、おそろしいことをささやいてくるので、
自分には縁のない世界なのだろうな……とぼんやり思うのみであった。

雲行きがあやしくなってきたのは、今年からである。
夏前に風鈴を買ったあたりから、こう、歯車が狂いはじめたような気がする。
風鈴を買い、
いいなと思った有田焼の蕎麦猪口を4種類「全部ください!」とおとな買いし、 
旅先の金沢で九谷焼っていいな〜などと思いはじめ、
そのあたりから「和食器」に関しては、もう堤防がただの砂で作った山のごとく
ザザザーッと音をたてて崩れ去った。

そこに、夏の到来である。

思えば、小さなきっかけがいろいろあった。
まず、水着を見ようと伊勢丹に行ったら、同じフロアにゆかたが売っていた。
欲しい水着がなかったので、余った時間でついゆかたを見てしまった。

ゆかたを着たことは、なかったわけではない。
安い適当なのを買って、花火大会とかに着たことはあるし、

毎年一度や二度は着ている。
でもそれは「東急ハンズで買ったコスプレ衣装」みたいなもので、
「ちゃんとしたゆかた」ではないのだった。

「ちゃんとしたゆかた」は、わたしには敷居が高かった。 
まず、どこに行けば自分の好みのものがあるかまったくわからない。 
そして、洋服と違ってどんな柄が似合うのかもよくわからない。
常識的な値段がどのくらいか、見当もつかない。

しかしそこに、ロンドン五輪の開会式がたたみかけてきた。
オリンピックの選手入場で、おそらく全人類が感じるであろう真実、それは
「民族衣装って、やっぱ鉄板だな」ということだ。

「欲しい水着が見つからず」「でも夏だし」「民族衣装は鉄板」
それらの細かいいろいろが積み重なり、わたしはインターネットで友達に
「ゆかたが欲しいと思っていて、いまどきふうのチャラチャラしたのではない、なるべく普通の和風の柄のがいいんだけどどういうお店に行けばいいか」
と質問してみた。

そうすると、もう、その筋の道にしっかり足を踏み入れて足場を作ってる猛者たちがアドバイスしてくれるわけである。
「この雑誌にかわいいのが載ってますよ」
と教えてもらったので、仕事で外に出られない間にamazonで注文してページを開くと、
もう後戻りできない世界がそこにはひろがっていた。

話には聞いていたものの、こんなに色柄のうつくしい世界だとは……。 
柄のモチーフも、朝顔にひまわり、百合、クレマチス、波に燕にとんぼと、
ルネ・ラリックの時代のような豊かな自然モチーフ。
そしてやはり、いいものは一目でわかる感じに、もう絶対的にいいのである。

「やっぱりお仕立ては全然違う。仕上がりが綺麗」
「でも今からだとこの夏は間に合わないかも」
「反物はここのが柄が素敵」
などの情報を耳に入れるたびに、
予算が倍々ゲームで跳ね上がっていく、福本伸行ばりの世界がそこには待っていた。

しかし、ちょっといまはいくつものお店を回って、ゆっくり柄を選んだりする時間がないし、
わたしはこういうことに待ったなしの性格なので、いまゆかたが素敵だと思ったのなら、いま着たい。

身の程を知りすぎているのが、自分の人生で退屈なところだなとときどき思うけれど、
ただでさえ知らない世界に腰がひけているのに、
ここでデカい金額をつぎこんで、いきなり出足で失敗したら、
(柄の好みだけで選んで、似合わないものを買ってしまうなど、すごくやってしまいそうだ)
つぎに「ゆかたを買おう」と思うまでには五年ぐらいかかりそうである。
とにかくこっちはなにがいいものなのかも全然わからない素人なのだ。
わたしはとりあえず、もし汚したとしても再起不能にはならないであろう金額の、
プレタポルテのゆかたをサクッと買おう、と思い、
徹夜明けのまま、目をつけていたゆかたのお店に行ってみた。

ネットで目星をつけていた柄をいくつか出してもらい、試着する。
洋服よりもずっと布の面積が大きいので、 
着替えたときの、印象の変化がダイナミックだ。
ああ、こういう世界を、みんな見ていたわけなのね、と、
和服に魅了されてひと財産つっこんでいる友人たちの趣味の深さの片鱗が、
ほんのちょっとだけ見えたような気がした。

どうせプレタポルテのゆかたなのだし、
気楽に、気分が晴れるような好きな柄のを選んで、
合わせて帯も見立ててもらい、
配送をたのんできた。

帰り、自分でも思っていた以上に浮かれていたらしく、
線香花火のいいやつも買ってしまった。

まだ常識すらわからない世界だけど、ゆかた、楽しそうで浮かれてる。