女のからだは、めんどくさいことが多いなと思う。
好きこのんでこんなふうなめんどくささをしょいこんでるわけじゃないのに、と思うこともある。

鍼灸の先生が、
「女の人は、だからこんなにやわらかい身体でいられるんだよ」
と言ってくれて、
やわらかいからだがもともと好きか嫌いかにはかかわらず、
わたしは好きでいようと思った。


愛さなければやってられない宿命みたいなものが、ひとにはたぶんいくつもあって、
受け入れがたい、絶望的に思える欠点のようなものもあって、
長く苦しい戦いの末に、やっとそれを受け入れられるときが来るのかもしれないと、ときどき思う。
今はとても受け入れられる気がしないような欠点であっても、
それを直すことがどうしてもできなくても、 
自分の、どうしようもない特徴として、受け入れられるときが来たり、するのだろうか。

たとえば、わたしは、マンガが好きなのだけど、
自分の好きなマンガと、いいと思うマンガは、違っている。
「いいと思うマンガ」は、客観的に見てすばらしいと思えるもので、もちろん好きなのだけど、言うなれば友達に対する「好き」に近くて、
「好きなマンガ」は、あきらかに欠点があったり、人にすすめることはあまりできないようなものだけど、自分の中ではもうどうしてもそれが好きで好きでたまらないというマンガだったりする。
好きなものの欠点は、欠点じゃない。欠点だとわかっていても、マイナスにならない。
それが好きという気持ちに影を落とすことは全然ない。
その欠点や偏りも含めてそれは「完璧」で、「これ以上」なんていうことはない。

 

そんなふうな気持ちで、自分のことを受け入れられるときが、いつか来るのだろうか。
「めんどくさいからだだからやわらかい」みたいに、
「悪い男だから魅力的」みたいに、
自分の欠点を、あってよかったものと、思えるんだろうかと思う。