朝からの取材が思ったより早く終わったので、森美術館の「イ・ブル展 私からあなたへ、私たちだけに」へ。

 

最初のセクションにあった作品は、グロテスクでファンシーで、度を超えたガーリーの成れの果てみたいな「女」に満ちていた。 
それが少しずつ変わってゆく。
正確に言うと、たぶん変わってはいない。出力の方法が、迂回せずストレートに、何者の誤解もおそれずまっすぐになっていったんだと思う。
「世界」と切り離して考えていた「個人」、彼女自身の「個人」のことが、
世界と切り離せないものであり、
それどころか、世界と同じなのであると気がついた瞬間があったんじゃないかと思えた。
外部に向けて、内側から何かを出そうとすると、警戒するし、怖い。
自分がどう見られるのか、必ず考えてしまう。

その恐怖が、どこかの時点でなくなり、
内側と外側はシームレスにつながっているものだという確信を得て、表現が変わったように見えた。

その変容の仕方が感動的で、特に最後の部屋は、展示の方法もあいまって、
他人の話し声や足音でさえうるさく、邪魔で、
頼むからこの作品とわたしを、一分でいいからふたりきりにしてほしいと思うほど、よかった。
作品そのものの良さというより、ひとがこのように変われるのだということが、
しかも明らかに、のびやかな方向に、明るい方向を向いて自分をオープンにしてゆけるということが、
よかった。

ひとりの人生を観ているようでもあり、
それは、すべてのひとの心のありようを、
世界のありようを観ているようだった。