牡蠣のオイル煮を作る。
と、ふつうに書けばふつうのことだが、
半年前までは料理なんてほとんどしたことがなく、外食ばかりだったわたしにとっては、
牡蠣を食材として買うのも初めて、

もちろん調理するのも初めてだった。

魚屋さんにおそるおそる顔を出してみると、確かに牡蠣が売っている。
「100g 250円」と書いてあるけど、それが高いのか安いのかもよくわからない。
何グラム買えばいいのか見当がつかなくて、
「今、ここに入ってるぶんで何グラムぐらいですか?」

と聞いてみると、サッと袋に入れてはかりにかけて
「500グラムだね〜」
と言われる。

よくわからないけどちょっと高いかなぁ、と思っていたら
「千円でいいよ」
と言われて、
適正価格もよくわからないまま、反射的にニコッとしてしまった。
はじめてのおつかいのようだ。

おっかなびっくり、牡蠣に片栗粉をまぶして洗う。

牡蠣をこんなにたくさん素手で触ったのも初めてだ。
料理には、思いもよらない体験がある。

料理をする前は、自分が料理をしたって、たいしておいしいものが作れるわけでもないし、
そんなことするよりお店でおいしいものを食べたほうがいいし、
別にできなくてもいいや、と思っていた。
料理ができて、何が変わるわけ?
できたって、すぐ食べてしまうのに。そう思っていた。

そう思いながら、料理ができない自分のことをいいとはあまり思っていなかった。
できる人っていいなと思っていたから、
できる範囲で、ちょっとだけやってみようと思うようになった。

次の日、友達が家に遊びに来て、
近所のおいしいパン屋さんでそれぞれ好きなパンを買って、
わたしは牡蠣のオイル煮と野菜のスープを出し、
友達は四ヶ月漬けたという檸檬酒をバッグから取り出し、
お昼にした。

「そんなことして、何になるわけ?」

「そんなことして、何の役に立つの?」

というのは、人生に対して、たいそうかわいげのない態度なんじゃないかと、最近は思っている。

毎日は、そんなことしても何にもならないよねっていうことの連続で、
なにかを食べて、
なにかを着て、
誰かと話して、
家に帰って、音楽を聴いたりテレビを観たり、仕事をしたり、
そんなことをしても、劇的に何かが変わったりしないようなことばかりでできている。

そういうなんにもならないようなことを楽しんだり、
なんにもならないようなことで、自分の気分を変えたり、

機嫌よく、心地よくいられるようにできる方法をたくさん知っていることは、
豊かなことなんじゃないかと思う。

少なくとも、料理なんてできたってなんにもならないじゃん、と思わなくなってから、
わたしは牡蠣の感触を知ったし、
自分が牡蠣をおいしく料理できるということも知った。
魔法みたいだと思う。こんなことが自分にできるなんて思わなかった。 

(牡蠣のオイル煮は、とても簡単な料理なのだけど)

わたしも、こんど檸檬酒を漬けてみようかな、と言ったら、
友達がやり方を教えてくれた。