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エレベーターに乗ったら、男の香水の香りがした。
ペンハリガンのサルトリアルという香水に似ている、もう少しアバウトな香り。
このマンションの住人だろうか。
銀行に行く用事があって、窓口へ。
向かい合って座った女性は、わたしと同じブランドの、デザイン違いのダイヤのネックレスを着けていた。
同志を見つけたみたいな気分になる。
窓口の女性は、たぶん25歳ぐらい。
しっかりしているなぁ、と思う。
わたしが25歳の頃は、ダイヤを買うことなんて思いもつかなかったし、
スタンダードや、クラシックや、シンプルなんていうものは、後ろ足で砂をかけるような気持ちで見ていた。
彼女の手首には、ピンクゴールドのブレスレットと、指輪が光っていた。
「ピンクゴールドのアクセサリーを素直に身につけられるような女だったら、わたしの人生は違っていたのかなぁ」
さっきまで同志だと思っていたのに、急に大きな隔たりを感じた。
わたしはピンクゴールドが嫌い。似合わないから、絶対に身につけたくない。
女は、女の持ちものや服に過剰に意味を読み取る、とよく言われる。
ドラマや映画で女の衣装はとても大事だ。
その女が「どんな人間で、どんな生活をしているか」をもっとも雄弁に語るものだから。
でも、女もなにも好きで、ひとの服装に意味を読み取っているわけではない。
そういう訓練ができているから、読み取りたくなくても、感知してしまうのだ。
たとえば、好きな男がほかの女とうれしそうに話していたとき。
恋人が、ほかの女に心を移してしまったとき。
記憶に残るのは、その女の顔よりも、なにを身につけていたかだったりする。
その女の持ち物の、なにに自分が、うちひしがれたかだったりする。
そして、ときにその忘れられない持ち物を、まねようとしてしまうことがある。
自分の中の基準が、すりかわってしまうのだ。
なんて悲しいことだろうか。
わたしの中では、むかし、PRADAは好きな男が大切にしている女の象徴だった。
ネイルサロンでやった綺麗なネイルは、好きな男が好む女の象徴だった。
そんな気持ちで、誰かをまねようとするほどみじめなことってない。
それに、それは、自分の持って生まれた美しさに対する裏切りで、冒涜だ。
女でも、男でも。