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「ベルサイユのばら」展に行った。
予想以上に原画のボリュームがあって、
原画で見る名場面の数々に、ハンカチ握りしめて恥ずかしいくらい泣いた。
「ベルばら」の登場人物たちは、みんな誠実に人を愛する。
愛するときも、べつのひとへの愛のために他人の愛を拒むときも、
誠実に言葉を尽くす。
華麗な絵柄もたまらないが、言葉も素晴らしく、
わたしの中では、声に出して読みたいセリフNo.1である。
「あのセリフを聞けるんだ……」と思うと、宝塚のベルばらも観たくなってしまった。
三十路がハマるとヤバい趣味の中で、和の趣味もアイドルもがんばって遠ざけてきたのに、
まさかここにきて「ヅカ」という罠が待ち受けていたとは……。
(たぶん、すさまじいチケット争奪戦になると思われるけど)
展覧会は松屋だったので、帰りに靴のフロアに寄った。
秋の靴がぜんぜんなくて困っていたので、よさそうな靴を3足見繕ってサイズを出してもらう。
エナメルの靴は、秋冬はとても映えて良さそうだし、
パイソンのバックストラップの靴は、形がすごくセクシーだったけれど、
megumi ochiのバイカラーの靴が、はいた瞬間足に吸いつくような柔らかいフィット感で、
この靴以外の靴を買うことが考えられなくなってしまった。
昔はマノロの靴とかに憧れたものだし、
いまだってくれるというのならジミー・チュウの靴とかはいてみたいけど、
最近は、足が痛くなるような靴はもうまっぴらという気持ちのほうが強い。
足が痛いと頭まで痛くなってくるし、不機嫌になるし、
楽しい気分のときにどこまでも歩いてゆける靴がいい。
いい靴を見つけたので、今日は買いもののカンが冴えてるな、と思って、
結局バーニーズまで行く。
死なばもろともコースと呼んでいいコースだ。
三越を飛ばしただけでもほめてほしい……。
毎年、春も秋もてきとうなジャケットがなくて困るので、
いくつか試着してみたけれど、あまり良くなかった。
ミュベールの新作とか、かわいらしいものがたくさん並んでいて、
その中を歩きながら、
自分の服の好みがずいぶん変わったことを実感する。
デザインとして好きなものと、自分が着るためのものを、
明確に分けて考えるようになった。
ワンピースを二着、試着して、二着とも買った。
秋冬のために買ったのは、いまのところワンピース三着とスカート一枚、靴一足。
ちょっと買い過ぎなのはともかくとして、
ワンピース三着というところが、
もう上下のコーディネイトというものを完全に放棄している感じがして、
われながらどうかと思えてくる。
でも、少しだけ寒くなるのが楽しみになった。
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9月だから、さすがにひまわりの柄の服とかはちょっとね、と思い、
夏っぽすぎる服をしまったりしていたら、
クーラーをつけた部屋でショートパンツにTシャツというかっこうで、
ファーのマフラーを検索しては見るというひどい状況になってしまった。
秋冬、とくに冬の服が苦手だ。
寒いし、合わせる服の点数が多くなって難しいし、
かわいい服があっても、寒かったら着ないし、
寒いし。
数年前、10月と11月の境目ぐらいにニューヨークに行ったとき、
ちょうどガタッと音を立てて寒くなり始める時期で、
旅先で靴も替えられないし(わたしのトランクは小さい)、
日本はまだそんなに寒くなかったからカンが戻らないしで、
ひどい服装で、しかも寒さに凍えながら出歩くはめになって、
本当にみじめな気持ちになった。
寒い季節はわたしをみじめな気持ちにさせる。
だから早く、美しくてあたたかい、
ファーのマフラーを手に入れないと。
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友達のうちでごちそうになった、
ディルが入ったサーモンのパテがとてもおいしくて、
「これならいくらでも食べられそう」と思ったことを思い出し、
レシピを教えてもらって、つくってみた。
いま冷蔵庫で固めているところ。
わたしはディルが大好きで、
ディルの匂いがすると、すごく食欲がわいてくるみたいで、
指にうつったディルの香りで、もう、おなかがすいてきて困ってしまった。
わたしには、文芸と呼ばれるジャンルの書籍の編集者の友達がいて、
どの本がおもしろいとかいう話をしていると、彼女がわりとはっきりと、
「わたしはあのひとの文章は、だめなんです」
と言ったりするのが、ちょっと気になっていた。
わたしは、ライターになったばかりのとき、
みんなが「誰が文章が上手い」とか「誰が文章が下手だ」とか言っているのに、
まったくついていけなかった。
上手い/下手の基準が、ぜんぜんわからなかったし、
文章を上手いとか下手とかで考えたことがなかった。
わたしの中にあったのは、
面白い/面白くない、好き/嫌い、という軸だけだった。
正直に言うと、いまでも、よくわからないところがある。
けれど、このまえ、ある小説を読んでいるときに、
その小説が、かなり刺激的で面白い内容でぐいぐい読んでしまいながらも、
なにかこれはどうも、非常に退屈で一本調子な文章のようだ、と気がついて、
香りのない食べ物を、うまみ調味料だけで食べさせられているような気分になってしまった。
確かに、これは、面白いし目の前にあったら絶対貪るように読むと思うけど、
文章として「だめなんです」というのは、こういうことなのかと、
はっきり感じた。
たぶん、そのひとが属する、あるいは好むジャンルによっては、
「もっとスパイス入ってないとだめなんです」とか、
「もっと脂が乗ってないとだめなんです」とか、
いろんな場合があるのだとおもうけど、
どのジャンルであっても、自分が考えた「守るべきライン」の正しさを、
背筋を伸ばして守るひとの姿勢は、綺麗なものだとおもう。
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取材で水天宮前に行ったついでに、
清澄白河のほうのライアン・マッギンレーの個展に行く。
(このまえ行ったのは、渋谷ヒカリエのほうの展示)
エレベーター降りてすぐ「うわっ」と思った。
これはあのロードムービーっぽいシリーズのやつだ、とすぐに気がついたからだ。
まさかあれの新作が観れるとは思ってなかった。
ものすごい、ものすごい、よかった。
ヒカリエのも悪くないんだけど、
桁違いにこっちのほうがいい。
才能のあるひと、能力のあるひとは、
いわゆる「そのひとらしい」とされている以外のことをやっても、やっぱり良かったりする。
ヒカリエの展示がそういうものだとすると、
清澄白河のはライアン・マッギンレーの王道で、
そこには圧倒的な、全力の、手加減なしでこちらに向かってくるなにかがあるのだった。
そのひとが、本来の、自分の輝きをまっすぐに出す瞬間。
美しかった。
いま、東京で、天国にいちばん近い場所は、あそこだ。
夜、タクシーに乗って出かけると、
ある地点を境にくっきりと雨が降り出して、
車が停まり、ドアが開くと、
蒸れた緑の匂いがした。
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やはり信じがたいくらいの時間眠ってしまう。
もともと血圧がすごく低いのだけれど、そのせいだろうか。
自尊心のあるひとは、拒絶ができるんだなと知ったのは、
そんなにむかしのことではなかった。
自分を傷つけないために、関係を拒絶したり、断ったり、
そういうことのできるひとのことを、わたしは以前は、不思議に思っていたし、
自尊心と欲望があれば、迷わず欲望を取っていた。
欲望を取るのは、自分の中では、とても正しいことのように思えたし、
いまでもそういう気持ちはある。
明日死ぬとしたら会いたいな、と思うひとに、なぜいま会ってはいけないのか、
その理由がわからなかった。
軟骨がすり減ってなくなっていくみたいな感じで、
欲望のために心がすり減って、
ぎりぎり、遊びのない状態になってからやっと、
そうして拒絶することの意味を、ぼんやり理解したような気がする。
自尊心のためではなく、
自尊心を獲得するために、
かたちだけ真似て、かたちからなんとかしようとしている。
35歳も過ぎて、なにをいまさら、と思うけれど、
自分は自分以外のものに、一生、なれない。
生まれつき自尊心を持っているひとをうらやんでも、
そのひとになれるわけじゃない。
変えられない部分もあるけれど、
変えられるなら、
可能な限り綺麗なパッチをあててみたい。
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ライアン・マッギンレーの写真で、欲しいのがひとつあった。
一生をこの写真とともに暮らす値段だと思うと、安いと思ったけれど、
わたしにはやっぱり高くて、ちょっと手が出なかった。
いちばん欲しいものも買えず、 わたしはいったい、なにを買っているのだろう?
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雷が綺麗で、部屋の灯りを消した。
雲が厚いので稲妻は見えないけれど、隙間からフラッシュのような瞬く光が見える。
ほとんど絶え間なく、といっていいペース。
フラッシュの光よりもイエローが強めで、灯りを消しているのに天井や壁に光が差すのが不思議に思える。
音は聴こえなかった。どれぐらい遠くで鳴っていたのだろう?
最近、ひとに会うと「顔色が悪い」と言われ、
確かにチークの色がうまくのらない感じで(自分では日焼けしたせいだと思ってた)
何か栄養のあるっぽいものを食べてやろうと思って、
外でかなりしっかり食事をしたら、
胃に血が集まって頭から血の気が引いていく感じで、
帰って倒れ込むように寝てしまった。
睡眠はよくとっているのに、四時間も寝ていて、
そういえば最近、しっかり食事をするといつもこんなだと気づき、
さすがにおかしいんじゃないか、どうしてこんなふうなんだろう、と考えてみると、
自分がまだ過ぎたことに傷ついているのに気がついた。
これからまだ傷つくことにおびえていることにも。
いちばん怖いことはもう起こったのだから怖くない、と自分に言い聞かせながら、
もう一度眠ると朝になっていた。
2日の日曜日に、山中湖で初めて山下達郎を観てから、
ふつうの気持ちでいられなくなってしまった。
その前にシアターライブも観ていて、そのときもちょっとおかしくなった。
まわりに人のいない席で、泣きすぎて、1/3ぐらいはまともに画面を観られなかった。
ライブはもっとすごかった。
こじあけられるような、傷跡をつけられるような歌じゃないのに、
どうしてこんなことになるのか全然わからない。
からだの真ん中に、心というものがあって、それが殻のようなもので守られているとしたら、
それが溶けてなくなってからだが全部心になってしまうような感じだ。
ほんとはその前から、ちょっと変だったんだと思う。
掃除や洗濯はしていて、部屋はきれいだけど、
冷蔵庫の中から食材がいつのまにかなにもなくなっていて、
野菜ジュースとビールだけになり、
シリアルを食べるためにかろうじて買っておいたヨーグルトは賞味期限が切れていて、
ひとつだけ残しておいた桃は腐りかけていて、
死んだような部屋で生活していた。
9時間ぶりに飲む水は甘く、
今日はサボテンにも水をやった。